それでも、今日を乗り越える 第一章:介護の現実

朝5時、目覚ましが鳴る前に目が覚める。この時間に起きるのは慣れてきたはずなのに、体のだるさが取れない。布団からゆっくり体を起こして、まだ暗いキッチンに向かう。まずは母の朝食を準備しなければならない。

お粥を温めながら、今日の予定を頭の中で整理する。母の着替えを手伝い、薬を飲ませて、デイサービスに送り出す。それが終わったら自分の支度をして会社へ向かう。時間との戦いだ。少しでも遅れると、どこかで崩れてしまう気がして、毎日が綱渡りのようだ。

母の部屋をノックして「おはよう」と声をかける。布団の中で丸くなっている母が、「まだ眠い」と不機嫌そうに答える。こういうとき、どうしても気持ちが焦ってしまう。デイサービスの車が来る時間は待ってくれないからだ。「お母さん、起きないと遅れるよ」と声をかけながら、布団をめくる。

「なんでそんなに急かすの!」
母が声を荒げる。その言葉に一瞬イラッとする自分がいる。けれど、その感情を必死に押し込める。「怒っても仕方ない」と自分に言い聞かせながら、なるべく優しい声で「朝ごはんを食べたら元気が出るよ」と話しかける。


母をデイサービスに送り出した後、今度は仕事の顔に切り替える。オフィスに着くと、メールの確認や会議の準備に追われる。私はIT企業でプロジェクトマネージャーをしている。チームをまとめる責任は重い。日々進むタスクと納期のプレッシャーが、私を休ませてくれない。

けれど、仕事の合間にも、母のことが頭をよぎる。「デイサービスでうまく過ごせているだろうか」「何か問題が起きていないだろうか」。以前、デイサービスから「お母さまが転倒されました」と連絡を受けたときの衝撃が忘れられない。それ以来、電話が鳴るたびに心臓が跳ね上がるような感覚になる。


定時で仕事を終えると、急いで家に帰る。玄関を開けると、母がリビングでテレビを見ている。「おかえり」と言ってくれる日もあれば、私をじっと見つめて「あなた、誰?」と尋ねる日もある。今日はどうだろう。母の機嫌を伺うように「ただいま」と声をかけると、少し微笑んでくれた。その笑顔に、ほっと胸をなでおろす。

夕食の支度をしていると、母がキッチンに来て、「何を作ってるの?」と尋ねる。「お母さんが好きな煮物だよ」と答えると、「私はそんなの食べない」と返される。心の中でため息をつきながら、「でも一口だけでも食べてみて」とやさしく促す。こうしたやり取りが日常茶飯事だ。


夜が来ても気は抜けない。母が夜中に起きて徘徊することがあるからだ。特に最近、トイレと間違えて家の中を歩き回ることが増えた。眠っている途中で物音に気づくと、すぐに飛び起きて母の様子を見に行く。今日は「トイレが分からない」と言う母を、手を引いて案内する場面があった。

深夜、やっと母が再び眠りについたのを確認してから、私はベッドに横たわる。けれど、ぐっすり眠れることはほとんどない。母がまた起きるのではないかと気になり、どうしても浅い眠りになってしまう。


一番つらいのは、母が時折見せる怒りや疑念の目だ。「あなたなんか知らない」と言われるたびに、胸が締めつけられる。「家族だから」と自分に言い聞かせているが、心が追いつかない日もある。時には感情を抑えきれず、つい声を荒げてしまうこともある。そのたびに、後悔と罪悪感で押しつぶされそうになる。

介護は肉体的な負担だけでなく、精神的にも押し寄せてくる重さがある。毎日が試行錯誤の連続だ。それでも、時折見せる母の笑顔や、「ありがとう」の一言に救われる。私がこの生活を続けているのは、その一瞬があるからだろう。

でも、このままでいいのだろうか。この問いが心の中で大きくなりつつあるのを、私は自覚していた。

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