祖母と食卓で紡ぐ日々 序章:懐かしい味が消えた食卓

懐かしい味が織りなす記憶

幼い頃、私は毎日祖母の料理を楽しみにしていた。ご飯が炊ける香りに混ざる、煮物や焼き魚の香ばしい匂い。食卓には、季節の食材を使った色鮮やかな料理が並び、祖母が器にこだわって盛り付けるその姿は、私にとって料理が芸術のように映っていた。

特に秋になると、祖母が作る栗ご飯が楽しみだった。ふっくらとしたご飯に甘くてホクホクした栗が混ざり、香り高いしそが添えられる。「もう一杯」とおかわりする私に、祖母は笑いながら「食べすぎて太るんじゃないよ」と言うのが常だった。

そんな祖母が、少しずつ食卓での存在感を薄めていったのはいつからだろう。食べる量が減り、会話の中で料理の話題が減っていく。気づいたときには、祖母が台所に立つ姿を目にすることは少なくなっていた。


変化の始まり

久しぶりに実家に戻ったある日、食卓の様子がこれまでとどこか違うことに気づいた。いつもなら手作りの煮物や焼き魚が並ぶはずの食卓には、簡単に調理できる惣菜や市販のお弁当が増えていた。

「おばあちゃん、今日は栗ご飯じゃないんだね。」
冗談半分にそう尋ねた私に、祖母は少し申し訳なさそうに笑いながら答えた。
「最近、ちょっと作るのがしんどくてね。」

祖母の声に、かつての元気な響きは感じられなかった。その言葉の裏に何か深刻な問題が隠されているのではないかと、私は不安を覚えた。


見えない問題に気づく

数日間、祖母と一緒に食卓を囲む中で、私はいくつかの異変に気づいた。祖母は料理を作らなくなっただけではなく、食べることそのものにも変化が現れていた。硬いものには手を伸ばさず、箸を動かす速度も遅い。さらに、時折食事中にむせる場面が増えていた。

「おばあちゃん、大丈夫?」
咳き込む祖母を見て声をかけると、祖母は「何でもない」と笑顔で答えた。しかし、その笑顔の裏にある疲れや戸惑いを、私は見逃すことができなかった。

食事の後、母にそのことを話すと、母も同じように感じていたという。
「最近、お母さんが前ほど食べなくなってね。たまにむせるし、硬いものを食べたがらないのよ。」

母の話を聞き、私は「年を取る」ということが、単に身体の衰えだけではなく、日々の楽しみや食事にまで影響を及ぼすものなのだと気づかされた。


家族としての第一歩

祖母の食事に現れた問題をどう解決すればよいのか、私たちは家族で話し合った。まず考えたのは、祖母の体調を把握することだった。嚥下障害や歯の問題が原因ではないかと考え、母と私は祖母に病院で診てもらうことを提案した。

「病院なんて大袈裟だよ。」
祖母は少し頑なに拒んだが、私たちの説得の末、しぶしぶ診察を受けることに同意した。診察の結果、祖母には軽度の嚥下障害があることが分かり、飲み込みやすい食事の工夫が必要だと医師からアドバイスを受けた。


新しい食卓への挑戦

病院から帰ったその夜、私は母と一緒にこれからの食事について話し合った。今後、祖母が無理なく安心して食べられる食事を準備するにはどうすればいいのか。市販の「やわらか食」を試してみることや、祖母が食べやすいように調理方法を変えることなど、いくつかのアイデアが浮かんだ。

祖母のために私たちができることは何だろうか。食事を「楽しい時間」に戻すための挑戦が、家族としての新しい役割だと感じた。

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