介護の中で見えた「自分」
祖母との介護生活は、私自身を見つめ直す機会にもなった。認知症の進行とともに、祖母の世界は少しずつ変わり、私たち家族もその変化に合わせて日々を調整していくことになった。その過程で、私は「他者を支える」ということの意味を考えるようになった。
それまでの私は、日常の中で「効率」を重視して生きていた。仕事や予定をこなすことが優先され、目標に向かって突き進むことが当たり前だと思っていた。けれど、介護はそうした「直線的な思考」を許さない。認知症の祖母と過ごす時間には計画通りにいかないことが多く、想定外のことに対応しながら、柔軟に動く必要があった。
たとえば、祖母が突然「家に帰りたい」と言い出したとき、祖母の中では「今いる場所」が「家」ではなくなっているのだと気づいた。私は最初、「ここがおばあちゃんの家だよ」と繰り返し説明していたが、それがかえって祖母を混乱させていると感じるようになった。それからは、「もう少ししたら帰ろうね」と祖母に寄り添い、穏やかな言葉をかけるようにした。祖母が落ち着きを取り戻すたびに、「支える」ということの本質は「相手に合わせること」だと感じた。
「当たり前」を再発見する
祖母が認知症になってから、私は日々の「当たり前」に対する感謝の気持ちを持つようになった。たとえば、自分で歩けること、自分で食事を用意できること。これらの何気ない行動が、祖母にとっては少しずつ困難なものになっていく様子を目の当たりにしたとき、私は「健康であることの尊さ」を改めて実感した。
祖母はよく「昔は何でも自分でできたのに、今は申し訳ないね」と口にした。けれど、私はその言葉に対して「おばあちゃんがいてくれるだけで嬉しい」と答えるようにした。認知症によって祖母の日常は変わったけれど、その存在が家族にとっての支えであることに変わりはなかった。
ある日、祖母が刺繍をしながら「これを誰かに喜んでもらえるかな」と言ったとき、私はその言葉に深く心を打たれた。祖母は、記憶が曖昧になりつつある中でも「誰かの役に立ちたい」という思いを持ち続けていたのだ。それは、認知症という試練の中でも失われない「祖母らしさ」そのものだった。
家族の絆が深まる瞬間
認知症の介護は、家族にとっても大きな試練だった。最初の頃は意見がぶつかることも多く、疲れやストレスから不満を感じることもあった。しかし、祖母を中心に生活を見直し、役割分担をしっかり決めてからは、家族全員が「協力し合う」大切さを実感するようになった。
ある日、祖母が「今日はお父さん(祖父)と若い頃に行った旅行の夢を見た」と話し出した。記憶の一部は薄れていても、感情や思い出の断片が祖母の中に残っていることに、家族全員が驚き、そして喜びを感じた。父や母、私たち孫がそれぞれ祖母の話に耳を傾け、その場に笑顔が生まれる瞬間は、家族の絆を再確認する時間となった。
また、家族全員で祖母のために庭の花を植え替えたとき、祖母が笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。その一言が、私たちにとって何よりの報酬となった。介護は確かに大変なことが多いけれど、その中で得られる「家族の時間」は、かけがえのないものだと感じた。
新たな未来への一歩
介護の経験を通じて、私たち家族は「どう支え合い、どう生きていくか」を学んだ。それは単に祖母の介護に限らず、これからの人生全体においても重要な教訓だった。
祖母がデイサービスで作った作品を見せてくれるたびに、「認知症だからこそ生まれる新しい喜び」があることを知った。記憶は失われても、創造する力や誰かとつながる力は残り続ける。それを支えることで、祖母の人生に新たな彩りを加えられると感じた。
また、私は介護を通じて「誰かを支える仕事」に興味を持つようになった。祖母が利用していたデイサービスのスタッフやケアマネジャーの姿を見て、彼らがどれほど私たち家族を助けてくれたかを実感した。祖母が「ここに来るのが楽しみ」と言っていたその場所が、どれだけ祖母の心を支えてくれたのかを思うと、私もまた、誰かの人生に寄り添う仕事がしたいと思うようになった。
終わりに
認知症は、家族にとって避けられない試練だった。祖母が少しずつ変わり、失われていくものがある中で、私たち家族は「今あるもの」に目を向けるようになった。そして、それがどれほど大きな意味を持つかを知った。
介護の中で見つけた小さな光――祖母の笑顔、昔話、刺繍の作品、家族と過ごす時間。それらは私たちにとって、困難の中でも見失わなかった希望だった。祖母は記憶を少しずつ手放していったけれど、その一方で、私たち家族に「人と人が支え合うことの大切さ」を教えてくれた。
この章を締めくくるにあたり、私はこう思う。認知症は確かに人生の中での試練だが、その中で見つけることのできる「新しいつながり」は、私たちにとって大切な財産になる。祖母との日々を通じて得た学びと愛は、これから先もずっと、私の中で生き続けるだろう。