戸惑いと手探りのスタート
祖母がアルツハイマー型認知症と診断された日、私たち家族は一つの現実を受け入れることになった。とはいえ、診断を受けた瞬間から何かが劇的に変わるわけではない。むしろ、そこから私たちは「どうすれば祖母が安心して生活できるか」を模索する日々に突入した。
最初に気づいたのは、これまで当たり前だった「ルール」が通用しなくなるということだった。たとえば、祖母はよく自分のカバンを置いた場所を忘れるようになり、探し回ったあげくに「誰かが盗んだのではないか」と疑うことが増えた。
「おばあちゃん、ここに置いたんだよ」と説明しても、祖母は不満そうな表情を浮かべるだけで、しばらくするとまた同じことが繰り返される。このようなやり取りが日常になり、私たちは次第に「正す」のではなく、「寄り添う」ことの重要性に気づいていった。
祖母の「世界」を知る
認知症について調べていく中で、私たちは祖母が「私たちと同じ現実に生きているわけではない」ことを理解するようになった。祖母が感じる不安や混乱は、私たちには見えない「別の世界」の中で起きているのだということ。それを知ったとき、私たち家族は「祖母の世界に合わせる」努力を始めた。
ある日、祖母が家族全員を見回しながら言った。
「今日はいつ帰るの?」
その日はすでに夜だったが、祖母は自分がどこにいるのか、そして私たちが家族であることすら曖昧になっているようだった。母は一瞬言葉を失ったが、「もうすぐ帰るよ。今日は泊まるの」と穏やかに答えた。祖母はそれを聞いて少し安心したように笑った。
私たちはその日、「事実」を押し付けることが必ずしも良い対応ではないと学んだ。祖母にとって重要なのは「正しい現実」ではなく、「安心できる答え」だったのだ。
日常生活の変化と工夫
祖母との生活が徐々に変わっていく中で、私たちはいくつもの工夫を取り入れた。まず、祖母が日常生活で混乱しないよう、家の中に分かりやすいサインをつけた。たとえば、冷蔵庫には「お水と牛乳はここ」、トイレには「こちらです」と書いた紙を貼る。最初は少し大げさに感じたが、これらの工夫は驚くほど効果的だった。
さらに、祖母の行動を記録する習慣も始めた。祖母がどの時間に何をしたか、食事は何を食べたかを簡単なメモに残すことで、記憶の混乱があっても家族全員で把握できるようにした。この記録は、後にケアマネジャーや医師との相談時にも役立つものとなった。
また、祖母が手先を動かすことを楽しめるよう、以前から好きだった刺繍を続けるための道具を整えた。指先の動きは脳の活性化に良いと言われており、祖母も刺繍を始めると自然と穏やかな表情を見せた。
デイサービスの導入
認知症と診断された後、地域包括支援センターに相談してデイサービスを利用することを決めた。祖母は最初、「そんなところに行かなくても大丈夫」と拒否していたが、初回の体験の日には意外と楽しそうにしていた。帰ってきた祖母は、「こんな工作を作ったよ」と自慢げに見せてくれた。
デイサービスでは、祖母が他の利用者と交流したり、リハビリを兼ねた運動を行ったりしていた。家で過ごす時間が中心だった祖母にとって、外の世界とつながる時間は大きな刺激となったようだ。
私たち家族にとっても、祖母がデイサービスを利用している時間は、少しだけ介護の手を休める貴重な時間になった。それは決して「休みたいから祖母を預ける」という感覚ではなく、家族全員が無理なく介護を続けるための重要な「リセット」の時間だった。
不安定な感情との向き合い
認知症が進行する中で、祖母の感情の起伏が激しくなる場面が増えた。たとえば、ある日突然怒り出したかと思えば、翌日には何事もなかったかのように穏やかに過ごしている。祖母自身も、自分の気持ちをコントロールできないことに戸惑っているようだった。
特に夜間、祖母が「誰かが家に入ってきた」と訴えたときは、どう対応すれば良いのか分からず困った。最初は「そんなことないよ、大丈夫」と否定していたが、それが祖母の不安をさらに強めてしまうことに気づいた。それからは、祖母の話に寄り添い、「怖い思いをさせてごめんね。私が見てくるから安心して」と声をかけるようにした。すると、祖母は少しずつ安心してくれるようになった。
認知症は、単に記憶が失われる病気ではない。感情や感覚、さらにはその人が感じる「現実」そのものが変わっていく。私たちはその事実を少しずつ受け入れ、祖母の「現実」に寄り添う努力を続けた。
家族としての絆を再確認
認知症と向き合う中で、家族の絆が深まったと感じる瞬間もあった。たとえば、母が祖母の介護に疲れているとき、父が積極的に家事を手伝うようになったり、兄弟が交代で祖母の話し相手をするようになったりした。以前はそれぞれが忙しさを理由にすれ違うことも多かったが、祖母を中心に家族が協力する機会が増えたのだ。
介護を通じて、私たち家族はお互いを理解し合い、支え合うことの大切さを学んでいった。もちろん、時には意見がぶつかることもあったが、そのたびに「祖母のために何ができるか」を考え直すことで、家族としての絆がさらに強くなっていった。