介護が始まった最初の混乱と葛藤を越え、少しずつ「介護の日常」が形を成していく頃、私の生活は完全に介護中心になっていました。しかし、その日常は決して平坦なものではなく、大小さまざまな試練が立ちはだかるものでした。この章では、介護の日々を通して私が感じた葛藤や、そこから得た気づきについてお話しします。
介護が日常になる瞬間
母の在宅介護を始めて数カ月が経った頃、私は無意識のうちに「介護が日常になっている」ことに気づきました。毎朝、母をベッドから車椅子に移動させ、朝食を用意して食べさせる。その後、訪問看護師が来る日にはリハビリのサポートをし、来ない日は私が簡単な体操を手伝う。昼食とおやつを挟んで、午後はデイサービスの送迎や、母の趣味活動の準備を手伝いました。
一見すると順調に思える日々でしたが、その裏には「自分の時間が全くない」という現実がありました。自由な時間がなくなったことに、最初はそれほど違和感を覚えませんでした。「母のためだから」という強い思いが私を動かしていたからです。しかし、日を追うごとに心と体の疲労が蓄積し、気づけば日常生活そのものに楽しさを感じられなくなっていました。
心の葛藤と自己否定
介護の日常が定着していく中で、私の心には次第に「負の感情」が積み重なっていきました。それは、母への愛情や責任感とは別の場所で生まれる感情です。
例えば、母が夜中に何度もトイレに行きたがるとき。寝不足の状態で起き上がり、母の介助をするたびに「またか……」というため息が漏れてしまう自分がいました。母は申し訳なさそうに「ごめんね」と言いますが、その言葉さえも重く感じることがありました。「どうして私だけがこんな思いをしなくちゃいけないの?」という不満が頭をもたげる一方で、そんな自分に対して「なんて冷たい人間なんだろう」と自己嫌悪に陥るのです。
また、他の家族と意見が合わないことも、私を苦しめました。父や兄弟は協力してくれるものの、仕事や生活の都合もあり、どうしても介護の負担が私に集中していました。「みんな忙しいのは分かってるけど、私は?」と不満を抱きつつも、それを口に出すことができない自分がいました。
母の心情を感じる難しさ
私自身が葛藤を抱える一方で、母もまた、言葉にできない苦しみを抱えているのだと感じる瞬間が増えていきました。ある日、母がポツリと「本当に迷惑をかけてばかりでごめんね」と言ったとき、私はその言葉にどう返していいのか分かりませんでした。「迷惑なんて思ってないよ」と答えるのが精一杯でしたが、心の奥底ではその言葉を完全に否定できない自分がいたのです。
母が見せる申し訳なさや、時折の無言の涙を見るたびに、私はどうすれば母の心を軽くしてあげられるのか、答えの出ない問いを繰り返しました。介護は単に体を支えるだけではなく、心のケアも必要だと感じた瞬間でした。
他人の視線と孤独感
介護の日々の中で特に辛かったのは、外の世界との隔絶を感じることでした。友人と会う機会は激減し、外出しても介護用品を買いに行く程度。休日もデイサービスの送り迎えや、家事と介護で終わる日々が続きました。SNSで友人が楽しそうな休日を過ごしている様子を見たとき、自分がまるで世界から取り残されているような感覚に陥りました。
さらに、周囲の無理解な言葉にも傷つきました。「家でお母さんの面倒を見るなんて偉いね」と言われるたびに、偉いという言葉がどこか空々しく聞こえました。実際の介護は美談とは程遠く、孤独感や苛立ちと向き合う日々だからです。
小さな光を見つける
そんな中でも、母の笑顔や小さな進歩が私にとっての救いとなりました。訪問リハビリを続ける中で、母が少しだけ自力で動けるようになったり、デイサービスで作った手工芸品を嬉しそうに見せてくれる瞬間がありました。そのたびに、介護の辛さを忘れ、「この瞬間のために頑張ろう」と思える自分がいました。
また、地域の介護者支援グループに参加したことも大きな支えになりました。同じように介護に携わる人々と話すことで、「私だけじゃないんだ」と感じられ、孤独感が和らぎました。ある参加者が「介護者はみんな完璧を求めすぎるけど、自分を許すことも大事」と話してくれたとき、心の中の重い荷物が少しだけ軽くなった気がしました。
試練を乗り越えるための気づき
介護の日々を通して、私はいくつかの重要な気づきを得ました。一つは、「完璧を目指さない」ということです。最初は母のために全てを完璧にしなければならないと思い込んでいましたが、それは私自身を追い詰めるだけでした。ケアマネジャーや訪問看護師から「できないことはプロに任せてもいい」とアドバイスを受けたとき、少し肩の力が抜けました。
もう一つは、「介護は一人で抱え込むものではない」ということです。家族や周囲の人々、介護サービスを活用しながら、少しずつ負担を分散していくことが大切だと学びました。それにより、自分の時間を少しだけ確保することができ、心の余裕を取り戻すことができました。