支えられることの重さ
母の排泄ケアが始まり、私たち家族の生活は少しずつ変わっていった。最初は母が時々助けを求める程度だったが、その頻度は徐々に増していった。母自身も自分の体が思うように動かない現実を受け入れるのに苦しんでいるようだった。
「こんなことまで手伝わせてごめんね。」
母がそう言うたびに、私は「全然気にしないよ」と返すものの、その言葉がどれだけ母を安心させられているのか分からなかった。母は自分が支えられる側になることに対して、深い抵抗感を持っているように見えた。
その抵抗感は、母のプライドの現れでもあったのだろう。長年、家族を支えてきた母にとって、誰かに頼ることは自分自身を否定するような感覚だったのかもしれない。
最初の失敗と家族の対応
排泄ケアが必要になった母との生活は、決して平坦ではなかった。ある日、母が突然トイレに間に合わなくなってしまったことがあった。慌てた母は自分で何とかしようとしたが、うまくいかず、結局私たちに助けを求めることになった。
そのときの母の表情を、私は今でも忘れることができない。目を伏せ、言葉少なに「ごめんなさい」と繰り返す母。いつも堂々としていた母がこんなにも小さく見えるのは初めてだった。
「全然大丈夫だよ。失敗したっていいんだから。」
私はそう言いながら母を手伝ったが、その声はどこか空回りしているような気がした。母の心の中にある深い罪悪感や恥ずかしさを、どう取り除けばいいのか分からなかった。
その日の夜、私はインターネットや本を調べ、「失敗しても責めないこと」「相手のプライドを守ること」が排泄ケアの基本だという情報を目にした。頭では理解したものの、現実の中でそれを実践するのは簡単なことではなかった。
夜のトイレ問題と工夫
母の排泄ケアで特に難しいのは、夜間の対応だった。母は頻繁にトイレに起きるようになり、そのたびに私たち家族も起きてサポートする必要があった。
「夜中に何度も起こしてしまって悪いわね。」
母がそう言うとき、私たちは「気にしないで」と答えたが、家族の疲労は少しずつ溜まっていった。
そこで私たちは、夜の負担を軽減するためにポータブルトイレを母のベッドの近くに設置することにした。最初、母は「こんなもの使いたくない」と強く拒否した。
「ベッドのそばで用を足すなんて嫌だわ。」
母の言葉に、私たちはどう説得すればいいのか悩んだが、「夜中に移動するのが危険だから」「転倒するリスクを減らしたい」という理由を丁寧に説明すると、母はしぶしぶ受け入れてくれた。
ポータブルトイレを使い始めた母は、最初は恥ずかしそうだったが、慣れてくると少しずつ気持ちが楽になったようだった。「夜中に起きるのが少し怖くなくなった」と言った母の言葉に、私たちはほっと胸をなでおろした。
家族の分担と試行錯誤
母の排泄ケアを円滑に進めるためには、家族全員で役割を分担する必要があった。私は主に母の日中のサポートを担当し、夜間は父が見守ることが多かった。兄弟もできる限り協力してくれたが、仕事や家庭の事情で全員が常に揃うわけではなかった。
「この週末は私が泊まるから、少し休んで。」
そんなやり取りを繰り返しながら、私たちは母の生活を支え続けた。
しかし、時には家族間で意見がぶつかることもあった。例えば、母に介護用おむつを使ってもらうべきかどうかという問題について、父は「早めに慣れてもらったほうがいい」と言ったが、私は「母の気持ちを尊重するべきだ」と反対した。
話し合いの末、私たちは母が自分で選択できるよう、いくつかの選択肢を提示することにした。そして、母が「これは試してみたい」と言ったものを優先的に導入した。母の尊厳を守りながら進めることが、私たち家族の共通の目標だった。
新しい日常の形成
母の生活を少しでも快適にするために、私たちは多くの工夫を取り入れた。例えば、母がトイレに行きやすいように、家の動線を見直し、手すりを取り付けたり、床の滑りやすい場所にマットを敷いたりした。また、トイレに時計を設置して、母が時間の感覚を掴みやすくする工夫も行った。
母は最初、「こんなに大げさにしなくても」と言っていたが、次第にその便利さを受け入れてくれるようになった。「あなたたちのおかげで安心して暮らせるわ」と言ってくれたとき、私たちの努力が報われたように感じた。
母の変化と家族の気づき
母との新しい日常が始まる中で、私たちは母が少しずつ変わっていくのを感じた。最初は「申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった母が、少しずつ「ありがとう」と感謝の言葉を口にするようになった。そして、私たち家族もまた、母を支えることの意味を深く理解するようになった。
「介護はただの世話ではなく、家族の絆を再確認する機会なんだね。」
父がそう言ったとき、私たちは全員が同じ思いであることを実感した。
新たな課題への準備
母との排泄ケアの日々は、私たち家族にとって試練であり、学びの場でもあった。そしてその中で、私たちは新しい課題に備える心構えを少しずつ持ち始めていた。
「これから先、もっと大変なこともあるかもしれないけど、一緒に乗り越えていこう。」
私がそう言うと、母は静かに微笑み、「そうね、頼りにしてるわ」と答えた。
この言葉が、私たち家族にとって何よりの励ましとなった。